青木春奈の豆腐工房まめやの田舎暮らし自然と生き物と共に『セブンルール』

(出典 : https://www.youtube.com/watch?time_continue=4&v=DPZz9Dnupp0)

今回は長野の山間で「豆腐工房まめや」を営む青木春奈さんをクローズアップしたいと思います。

東京生まれの東京育ちという青木さんが、「180度見方が変わった」という学生時代の体験とは。

豆腐屋の事業を拡大し、成功を収めたにもかかわらず、なぜ閉店したのか。

そして決意した再出発のきっかけとは?

田舎に住むこと、田舎で仕事をすることについて調べてみました。

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目次

プロフィール

なぜ一度閉店したのか?

再出発 自然と生き物とともに

プロフィール

青木春奈さんは1981年生まれ。

生まれも育ちも東京で、田舎とは縁のない人でした。

しかし、大学時代に訪れた東南アジアの国々、特にラオスの自然の豊かさが、青木さんの人生に対する見方を180度変えたそうです。

その後、NGOで国際協力のボランティア活動をしていた折、智さんと知り合い結婚します。

しかし、結婚当時はサラリーマンだった智さんは会社になじめず悩むように。

そんなとき、春奈さんが智さんの実家のある、長野県での田舎暮らしを提案します。

智さんは脱サラ。二人で「豆腐工房まめや」を開店しました。

現在は男3女2の5人の子どもを育てながら、豆腐屋をしています。

なぜ一度閉店したのか?

智さんが脱サラした2008年に「豆腐工房まめや」を創業。

夫婦二人で、昔ながらの薪をくべての釜炊きで豆腐を作ります。

百姓をしながら豆腐屋で稼ぐ、という目標で始めた日々でしたが、しかし意外な展開が待っていました。

5年もすると販路が大きく広がり、生産を拡大するために従業員も雇うほどに事業が大きくなったのです。

とはいえ、豆腐作りは昔ながらの手間のかかる方法だったので、売れれば売れるほど忙しくなり、その忙しさゆえに、子どもたちとの時間も削られ、のんびりした田舎暮らしとはかけ離れていきます。

無理はやめよう。

青木さん夫妻は決断し、2014年に店を辞め、長野から島根県へ家族で移住します。

島根では人の縁に恵まれたと青木さんは言います。

そもそも、この島根県で食べた豆腐のあまりのおいしさに感動したことが、豆腐屋を始めた原点でした。

その原点の土地で働き方を見直した青木さん夫妻は、2年間の休業を経て、長野県に戻り、豆腐屋の営業を再開したのです。

収入は家族が暮らしていけるだけあればいい。

その考えのもとで、新しい「豆腐工房まめや」が再スタートしたのです。

再出発 自然と生き物とともに

2016年に再出発した「豆腐工房まめや」は運営を見直し、商品の数を絞り、とうふは1日100丁のみと決めました。

「作る数に限りがあります。多数ご購入の方はご予約下さい」と明記して、経営もスリム化を図りました。

商品の数を減らしたといいますが、今でも十分にバラエティーに富んだ品物が販売されています。

商品は、もめん豆腐の他、豆乳、厚揚げ、油揚げといったスタンダードな品に加え、豆腐のみそ漬け、豆腐の塩こうじ漬けといった変わりものから、納豆、おから、おからクッキー、そして限定そば豆腐という不思議なものまで作っている模様。

また、店のサイトでは通販も受け付けているので、田舎暮らしでありながら全国とつながる現代ならではの発信をしています。

こうして田舎暮らしを営む青木さん夫妻ですが、田舎ならではのつながりもあるといいます。

毎日、豆腐を作って出るおからを、夕方に軽トラで近所の牧場へと持って行くのです。

(出典 : http://tofu-mameya.com/info)

しかし、町の豆腐屋では、おからは産業廃棄物です。したがって循環することなく、お金を払って引き取ってもらっているのです。昔は、酪農家とつながりを持つことが当たり前だったそうですが、そのつながりが今も生きているのが田舎の良さだといいます。

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まとめ

都会から田舎に移り住んで14年。

青木さん家族のの移住計画は素晴らしい成功を収めたと思います。

現代は田舎にいてもインターネットで全国、全世界とつながれる時代。地産地消と外への販促が同時にできることは、田舎暮らしをしたいと思う人の参考になるのではないでしょうか。

事業を大きくして成功することも、じゅうぶん可能だった「豆腐」販売の業態で、しかし、身の丈の分があれば十分という考えもまた、成功であると思いました。

以上、青木春奈さんと、豆腐工房まめやの紹介でした。ではでは~

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