下重暁子『家族という病』女子アナ時代プロフ写真裕福で理解ある家庭の矛盾

(出典 : https://mi-mollet.com/articles/-/13598)

今回は、作家・下重暁子(しもじゅう・あきこ)さんを

クローズアップしたいと思います。

「家族団らん」を至上の幸せとし、

家族を国家の礎としてきた/している日本社会。

そこに『病』という発想を突き付けた

下重さんの著書『家族という病』は

60万部のベストセラーになりました。

いったいどんな『病』が彼女を

襲ったのか、この社会の家族の

闇の部分をえぐ出す感性は

どんなものなのか。

しかし、実際の下重さんの家族・

家庭は非常に恵まれたものでした。

そして、日本社会のもう一つの

根深い病である「年齢」にも

大ナタを振るい、2019年の著書は

『年齢は捨てなさい』という

刺激的なタイトルです。

ですが、これもまた意外なことに、

下重さんは年齢に関して多くの

著書を出していますし、現在も

年齢についてたびたび語っています。

そんな一種矛盾めいたところが

気になったので調べてみました。

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プロフィール

下重暁子さんは1936年・

昭和11年の生まれです。

この世代は多感な10代前半に

敗戦を迎え、周りの大人たちが

軍国主義から一変、民主主義へと

成り代わったことで、ひじょうに

反骨心を持つ人が多いです。

下重さんは、父親が軍人で将校で

あったことから、裕福な家庭に

育ったと思われます。

軍人でありながら絵画や本に

親しんだというお父さんは、

いわゆるインテリだったようで、

女の子である下重さんを、高校、

そして早稲田大学にまで進学させています。

「女に学問はいらない」といわれて

いた時代ですから、大卒というだけで

もう超エリートです。

ご両親によほどの先進性と理解がないと、

決してありえない「人生コース」に

下重さんは乗りました。

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さらに、NHKに就職。

「女が結婚もしないで仕事を持つ

なんて」というのが常識だった時代に、

男性と肩を並べる仕事につき、

さらに超絶エリート街道をばく進します。

おりしもテレビ放送が始まって需要の

生まれた「女子アナ」のさきがけとなりました。

(出典 : https://www.wendy-net.com/nw/person/334.html)

しかし、もともと「物書きに

なりたかった」下重さんにとって、

NHKはいわば「腰かけ」。

10年であっさりやめてフリーに

なります。しかし民放に舞台が

移っただけで、フリーキャスター

として収入を確保しつつ、

やがて文章の仕事も来るように

なりました。

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36歳で、「飲み友達だった」という

3つ年下の男性と結婚。女性がお酒を

飲み歩くなんて考えられない時代に、

もはや暴走ともいえる結婚をしています。

さらに驚いたことに、昭和の時代に

あって、下重さんは「子供を産まない」

選択をしています。あの時代には

ありえないレベルの逸脱ぶりですが、

周囲は受け入れてくれたのでしょうか。

ともあれ、晩年も文筆業を続け、

2015年に『家族という病』を出版、

60万部のベストセラーを生み出しました。

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裕福な家庭・理解ある家族を持った幸運な娘

プロフィールを見て私が思ったことは、

「なんて恵まれた人だろう」という印象でした。

戦後の時代に、女の子でありながら

大学まで出してもらい、NHKには

腰かけ同然で勤めて辞めて、

その後も元・NHK女子アナとして

仕事に恵まれて、さらにそんな奔放な

女性を妻として、仕事も続けさせて

くれる理解ある夫と結婚。。。

人生ゲームでいうならチート級に

恵まれまくっている半生です。

同年代の女たちは、高校に通うこと

すらまれで、ろくな仕事にもつけないか、

あるいは逆に仕事なんかにつく必要は

ない、さっさと見合いして結婚して

子供を産めと言われ、それ以外に

選択肢のない人生がほとんどだったはずです。

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なのに下重さんの自由奔放ぶりと来たら!

親に恵まれ、金に不自由なく生き、

自分のしたいことは何の抵抗もなく

実現させ、さらにそういう人生に

理解を示す周囲に恵まれ、老いてなお、

元気に仕事ができている、

そんな人生はなかなかあるものじゃありません。

『家族という病』と書いてますが、

彼女の人生、家族に恵まれまくってます。

「私は母親から異常に愛されていたんですね。

結婚したとき、つれあいが私と母の

暮らす家に転がり込んできたものですから、

母は私を取られたと思ったのでしょう。

それとなく、つれあいの事をよく言わない。

私はそんな母親を見るのが嫌で、

距離を置くしかないと決心しました。

それで家を出たんです。一人になった

ことで必然的に母も、私たちとの関係の

結び方について冷静に考えるように

なったのでしょう。だんだんつれあいの

愚痴も言わなくなりました。

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母を置いて出るのは辛いものがありましが、

情に流されてはお互いのためにならない。

そう思って、心を鬼にして距離を取った

のです。ただいきなりすべて断ち切る

のではなく、家を出た後も毎晩電話だけは

かけていました。母はそれを楽しみに

してくれていたようですが、これは

本当のところ、母のためというより

自分が安心するためでもありましたね」

(出典 : https://mi-mollet.com/articles/-/13598)

人生で一人暮らしを経験したこともなく、

母親と「心を鬼にして」距離を置いた

といいながら、毎晩電話して自分が

安心できたという密着ぶり。

結婚後も母親に毎晩電話するなんて、

一周回って病んでいるのではと思ってしまいました。

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まとめ

下重さんは「貴族」だったのだと

私は思いました。

下々の女性が生活に縛られる中で

異なる次元にいる、生まれながらに

自由を手にできた貴族です。

ですから文筆業も彼女の中では

当たり前にできたことなのではと

感じてしまいました。

もう一つ思い出したのが、

「テロリストには上流家庭の

高学歴の人間が多い」という話です。

生活に追われ、お金がない人たちは、

その社会でまずカネをつかみ、

楽な生活を得たいと思います。

しかし、生活もお金も自由も保証された

上流階級の人間で、高学歴を積んだ人の

中からは、社会の在り方そのものに

疑問を抱き、逸脱する人種が出てくるのです。

下重さんも、もう20年早く生まれていたら

反体制活動家になっていたかもしれません。

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しかし、そんな反骨さえも許されて生きて

これた、まれなる人生の人なのでしょう。

と言いつつ、私はご著書は未読でてすみません。

ノブレス・オブリージュ、高貴な生まれの

人間には高貴ゆえに背負うべき責任がある、

という意味のフランス語があります。

下重さんの「物書き」はその責任ゆえ

かもしれないと思いました。

以上、下重暁子さんへの雑感でした。

ではでは~

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