(出典 : https://www.nippon.com)
今回は、2月28日オンエアの
『首都圏情報 ネタドリ!』で紹介された、
ダウン症の書家・金澤翔子さんを
クローズアップしたいと思います。
障害を持ちながらも、みごとな
書を書き上げて、国内外で
個展を開く金澤翔子さん。
30歳で念願の一人暮らしも
実現させています。
「世界ダウン症の日」には、
国連本部でスピーチも行うなど、
ますます活躍の場を広げています。
そんな金澤翔子さんの
プロフィールと、作品の画像、
日常の様子や揮毫の動画を
まとめました。
ブロフィール
金澤翔子さんは1985年生まれ。
先天性の知的障害・
ダウン症を持っていました。
10歳までは普通学級に通った
そうですが、それ以降は
特別教室に行くことを
勧められ、不登校になったと
いいます。
学校に行かない時間は、
5歳の時から母親に習っていた
書道をして過ごすようになり、
10歳の時には、大作『般若心経』を
完成させます。
(出典 : https://www.nippon.com/ja/views/b06501/)
しかし、翔子さんが14歳に
なった1999年には、
お父さんが心臓発作で急逝
してしまうという不幸も
ありました。
それでも書道を続け、
20歳の2005年には、
父の生前の言葉でもあった
「20歳になったら個展を開く
といい」という遺志を実現させ、
初の個展を開催。
この頃から、ダウン症の書家
として有名になります。
鎌倉の建長寺、奈良の東大寺、
京都の建仁寺、岩手の中尊寺、
広島の厳島神社など、日本を
代表する寺社から求められて
書を納めました。
また、美術館などでは、
席上揮毫と呼ばれる、
観衆の前で書を書く
イベントなどを披露しました。
海外でも、ニューヨークや
プラハ、シンガポールや
ドバイなどで個展を開催。
好評を博しています。
さらに、2011年には、
NHKの大河ドラマ『平清盛』の
題字を揮毫。
(出典 : https://www2.nhk.or.jp)
2015年3月20日には、
「世界ダウン症の日」を記念して、
ニューヨークの国連ビルで
スピーチを披露しました。
2017年には、上野の森美術館で
『金澤翔子書展』を開催。
代表作を多数公開し、2度の
席上揮毫も行ったこの個展は、
7日間で4万人の入場を記録
しています。
念願の一人暮らしも実現
2015年には、念願だった
一人暮らしを実行。
お母さんの心配をよそに
しっかり自活しています。
それまでお金には全然興味が
なかったそうですが、
一人暮らしを機に、自分で
お金の管理をするようにも
なりました。
金澤翔子さんのワンルームの
部屋には、書道の道具がありません。
かわいい家具と、きれいな台所が
ある、ごく普通の女性の部屋です。
そんな一人暮らしの様子だけを
見ると、彼女が国際的な書家で
あるとは気づかないくらいです。
しかし、実家に戻り、母・泰子さんと
ともに書に向き合う姿は、
まぎれもない、一流の書家の顔でした。
(出典 : https://www.nippon.com)
自由に書かれる「書」
作品「月光」2004年
作品「飛翔」2006年
作品「門」2014年
(出典 : https://www.nippon.com)
↑の動画にある作品「風神雷神」は、
現在、国宝・俵屋宗達の
『風神雷神図屏風』の隣
に飾られています。
母・泰子さんから
「自由に書いてごらん」といわれて
書いたこの書は、屏風絵と同じ
構図で勢いよく書かれ、
みごとに対をなしている作品に
なりました。
「皆さんに元気とハッピーと感動をあげたい」
現在の金澤翔子さんは、
漢字の楷書から、行書や草書、
仮名文字まで、よりスピーディで
自在な表現を身に着けている
そうです。
仏教の経典や、中国の漢詩の他、
和歌や俳句、詩など、多彩な書を
自由に生み出しています。
母の泰子さんは、
「翔子はうまく書こうとか、
紙からはみ出ちゃいけないとか、
そういうことを考えない」と、
その自由さを語っています。
そして、翔子さん自身が目指して
いるのは、
「皆さんに元気とハッピーと
感動をあげたい」というまっすぐな
気持ちです。
ダウン症を持つ人や、
その家族たちにとって、
彼女の生き方は大きな希望で
あると思います。
以上、金澤翔子さんの紹介でした。
ではでは~
高嶋ちさ子(バイオリニスト)さんの、
ダウン症の姉のエピソードも合わせて
お読みください。