今回は、日本刀の拵(こしらえ)職人の
古賀範介(こが・はんすけ)さん
/ハンス・コガさんを
紹介したいと思います。
スウェーデン生まれの古賀範介さんが、
日本刀に魅せられ、熊本に定住した
いきさつと、彼の仕事ぶりが
見られる体験会について調べてみました。
プロフィール
古賀範介さんは、1972年、
スウェーデンのストックホルム生まれ。
古賀範介という名前は日本に
帰化した際につけたものです。
8歳の時に、近所にあった
居合道教室と出合ったことが
きっかけで日本刀の美しさに
興味を持った古賀範介さん。
学生時代は建築学を学び、
船大工になりましたが、
2012年の仕事中に手を負傷し、
7か月もの間、リハビリを
していたそうです。
その際に、子どもの頃に見た
日本刀への興味がよみがえったと
いいます。
船大工の仕事を退職した
古賀範介さんは、同年に来日し、
東京の工房に入って日本刀の
制作や修復の方法を学ぶように
なります。これだけでもたいへんな
行動力ですが、古賀範介さんの
興味はさらに進みます。
実用性をつきつめ、無駄のない
肥後拵(ひごこしらえ)と
呼ばれる技術に惚れこみ、
2015年には発祥の地・熊本へ
移住します。
肥後拵を作れる職人は絶えて
いましたが、古賀範介さんは
引退した職人を探し当てて、
指導を頼んだそうです。
しかし翌年の2016年、熊本地震が
襲い、古賀範介さんの自宅兼
作業場は全壊してしまいます。
それでも、自分が熊本を去ったら
技術を継承する職人がいなく
なってしまうと決意して熊本に
残り、現在の和水町(なごみまち)の
古民家に移りました。
日本刀の拵を修復する
拵(こしらえ)とは、日本刀の
柄や鞘、鍔など、刀の外装を
指します。機能性だけでなく、
緻密で美しい装飾も施されます。
現在、古賀範介さんは日本に
数人しかいないという拵職人として、
制作や修復の注文を受け、
肥後拵の技術を伝えています。
受注した日本刀の古い部分を解体し、
新たな材料を使って作り直しますが、
材料はすべて昔ながらの天然の
素材を使用。接着剤もボンドでは
なく漆を用いているそうです。
もちろんすべて手作業なので、
受注できるのは、拵の制作が
年に8件、柄巻は20~30件、
修復も20件ほどといいます。
最初はインターネットで宣伝を
していたそうですが、今は依頼が
殺到して1年以上待つ状態だそうです。
船大工も拵もともに木工技術で
あることが共通しているという
古賀範介さん。
修復に置いて必要なことは、
1番に、必要な道具を手作りして
そろえること、2番目は素材を
見極めること、技術は3番目
なのだとか。
古賀範介さんには、この道具の
注文も来るそうです。
震災ののちも熊本を去ることなく、
仕事を続けている理由は、肥後拵の
持つ力強さと、シンプルな強さ、
そのバランスに魅了されているから。
そして道具がそろっていて、制作に
ふさわしい古民家という理想的な
場所があり、周囲は自然に恵まれて
いる。だからまた地震が来ても
絶対に離れない、と言い切っています。
熊本の工房で体験学習も可
古賀さんの住居兼仕事場は、
「肥後民家村」という公共の
施設にあります。
全国から重要文化財指定などの
古民家を集めて移築し、宿泊や
工房の技術体験ができる場所
として一般に開放されています。
古賀範介さんのお宅でも、
工房の見学や、刀柄巻き
(かたなつかまき)体験などを
おこなっています。
時間は1時間ほど、料金1,500円で
受けられるそうです
(詳しくは電話080-7721-9214まで)。
肥後拵と古賀範介さんの将来
拵の後継者については
古賀範介さん自身も
楽観できないようです。
拵の仕事では生活が成り立たない
ので、職人の数は激減し、
日本刀の所持者も高齢化している
ため、若い人が踏み込むには
厳しい状況だと言います。
古賀範介さんの仕事は、長く
受け継がれてきた日本刀を、
さらに長く生かすこと。
そのためには国が技術の保存に
努めるべきだと考えている
そうです。
幸い、日本人の弟子ができ、
古賀範介さんの技術は継承
されているとのこと。
日本人自身が長い歴史を継承
していくことにもっと気づいて
ほしいものです。
以上、古賀範介さんの紹介でした。
ではでは~