今回は、イタリアンの鉄人こと
神戸勝彦(こうべ・まさひこ)さんを
追悼したいと思います。
神戸さんはフジテレビ
『料理の鉄人』で
1997年から
「イタリアンの鉄人」として登場。
最年少の鉄人として勝負を
繰り広げていました。
番組終了後、
オーナ―シェフとして、
東京・恵比寿に
「リストランテ・マッサ」を
オープン。
しかし去る3月14日、
厨房で転落事故にあい、
亡くなりました。
49歳の若さでした。
<追記>
リストランテマッサがコロナ禍で
経営悪化、クラウドファンディングを
募集しています。
テイクアウト、オンライン
ショップなども展開
くわしくはこちら
神戸勝彦さんのプロフィール
神戸勝彦さんは
1969年生まれ。
ご実家は山梨の観光農園で、
高校までを地元・山梨で過ごし、
駒澤大学入学で上京しました。
卒業後、アメリカやヨーロッパ、
東南アジアなどを一人旅して
見聞を広めたあと、日本で
1年半、イタリア料理店で修行し、
その後、イタリアへ留学。
名店「エノテカ・ピンキオーリ」に
入店し、3年間修行したのち
帰国しました。
帰国してすぐ、テレビ番組
『料理の鉄人』に出演、
第4の鉄人・イタリアンの鉄人
としてデビュー。
その後、番組終了の1999年まで
鉄人を務め上げます。
番組終了翌年の2000年に、
東京・恵比寿に
「リストランテ・マッサ」を
開店、オーナーシェフとなり、
お店は一躍有名店になり
ました。
しかし、お店の20周年を
前にした2019年3月14日、
転落事故により、他界され
ました。享年49歳という、
早すぎる死でした。
『料理の鉄人』出演
『料理の鉄人』への出演依頼か
来たとき、神戸勝彦さんは
てっきり挑戦者としての
オファーだと思い、
軽い気持ちでOKした
そうです。
帰国してから実は
第4の鉄人であったことを
知らされ、非常に慌てたとか。
↓お披露目~デビュー戦の
貴重な映像はこちら。
その慌てっぷりがいけなかった
のでしょうか、なんとデビュー
初戦は黒星。
しかしそこからは一転、
キャッチフレーズの
「パスタのプリンス」の
名に恥じない戦いぶりを
見せて数々の名勝負を繰り広げ、
特にイタリア人シェフとの
戦いにおいては負けなし
というみごとな戦績を
残しました。
当時、鉄人たちは絶大な
人気を誇り、番組を離れても
多くのイベントや講演を
こなしていましたが、
神戸勝彦さんはイマイチ露出が
少ないうえ、番組出演当時は
オーナーシェフではなかった
ため、
「食べに行けない鉄人」
として、ちょっと
ミステリアスな存在でも
ありました。
あと、鉄人のユニフォームが
ド派手だったのも印象的でした。
「リストランテ・マッサ」オープン
『料理の鉄人』は、
1999年に番組終了を迎え、
歴史を閉じました。
しかしその翌年の2000年に、
神戸勝彦さんは満を持して
自らの店
「リストランテ・マッサ」を、
東京・恵比寿に構えます。
それまで謎のベールに覆われて
いた神戸勝彦さんの料理が
食べられるとあって、
お店は瞬く間に人気と
なります。
やがて「鉄人」としての
名前を抜きにしても、
イタリアンの名店として
知られるようになりました。
嫁や子どもは?
神戸勝彦さんは、
『料理の鉄人』の終了後に
結婚されています。
お相手は、イタリア留学時に
出会った彫金作家のかをりさんで
年上の方です。
(出典 : https://www.massa-ebisu.com)
結婚後、1男1女を授かっています。
(出典 : facebookより)
神戸勝彦さんの家族写真。
仲良し親子ですね。
不慮の事故
2019年3月14日、
神戸勝彦さんは厨房に一人で
いた折に、高いところから
転落したようです、
出勤したスタッフが気づいて
病院に搬送しましたが、
意識は戻らず他界された
とのことです。
訃報は16日、交友のあった
パティシエの鎧塚俊彦氏が
フェイスブックにて発表、
続けてフレンチレストラン
『ル・ブルギニオン』の
オーナーシェフ
菊地美升さんもフェイス
ブックで追悼文を寄せました。
ニュースでは、『料理の鉄人』に
鉄人として登場した7人のうち、
最年少であった神戸勝彦さんが、
88歳の道場六三郎さんや、
60代の他の鉄人たちよりも
先に亡くなってしまった
ことを惜しむ声がありました。
おりしも昨年2月に
『料理の鉄人』の「同窓会」
イベントが開かれ、懐かしい
顔がそろったそうですが、
神戸勝彦さんの参加は
このイベントが最初で最後に
なってしまいました。
↓久々にそろった鉄人たち。
「リストランテ・マッサ」の今後
神戸勝彦さんがオーナー
シェフを務めていた
「リストランテ・マッサ」は、
公式サイト上で、奥様の
かをりさんがオーナーとなって
今後もお店を継続することを
表明しています。
↑「リストランテ・マッサ」の公式サイト
神戸勝彦さんのお店と
料理までもが消えずに
済んだことは一筋の光明
でしょうか。
今はご冥福を祈るばかりです。
以上、イタリアンの鉄人・
神戸勝彦さんの追悼でした。
日本料理の達人・
神田川俊郎さんの記事はこちら。
和食「旅篭」館主・
『天地の会』代表の
太田忠道さんの記事はこちら