池森賢二(ファンケル会長)プロフ義父・兄・妻・息子ら家族と仕事の履歴

スポンサードリンク

(出典 : https://sogyotecho.jp)

今回は、12月19日オンエアの

『カンブリア宮殿』に登場する、

ファンケル会長の

池森賢二(いけもり・けんじ)さん

クローズアップしたいと思います。

池森賢二さんの仕事人生は、

家族の影響がとても大きかった

ようです。

特に、無添加化粧品やサプリメントの

販売で有名なファンケル株式会社の

設立は、奥様との些細なやりとりが

きっかけになったといいます。

プロフィールとともに、

池森賢二さんの半生を調べてみました。

スポンサードリンク

プロフィール~子ども時代から最初の就職

池森賢二さんは、1937年生まれ。

子ども時代は太平洋戦争の

真っただ中にいた世代です。

池森賢二さんも新潟県に疎開して

いました。

お父さんはエンジニアでしたが、

ある日、電柱に上って作業をして

いた折に高圧電線に触れて

感電事故死してしまったそうです。

お母さんは池森賢二さんを含めた

5人の子どもを抱えて困窮。身を粉に

して働く姿が、池森賢二さんの心に

強烈に印象付けられたそうです。

やがてお母さんは東京に働きに出る

ことになり、池森賢二さん

中学3年でお母さんを追って

上京します。

食べることに苦労しないように、

という思いで、中学卒業とともに

パン屋さんに就職し、定時制高校~

短大の通信教育で勉強もしましたが、

短大は仕事が忙しくて卒業でき

なかったそうです。

やがてパン屋さんをやめて無職に

なりますが、そんな折、奥さんと

なる明子さんと知り合いました。

義父・北条秀司さんの援助

明子さんの父は小田原の名士で、

劇作家として有名な北条秀司さん

でした。

1960年、23歳の時に池森賢二さん

明子さんと結婚。

義父となった北条秀司さんの紹介で、

小田原瓦斯株式会社に入社します。

そこで15年間を過ごしますが、

起業の夢を実現したくなり、

37歳で退職してしまいます。

しかし、知人と興した会社は失敗し、

6000万円もの負債を抱えて廃業する

ことになってしまいました。

スポンサードリンク

兄・政治さんの救いの手

借金を抱えて行き詰まっていた

池森賢二さんを救ったのは、

兄の政治さんでした。

政治さんは、クリーニング店を

経営しており、チェーン店を持つ

大きな会社に育て上げていました。

1976年、39歳になっていた

池森賢二さんは、お兄さんの

クリーニング店に飛び込み、

かつてのお母さんのように、

がむしゃらに働きました。

仕事の仕方を工夫し、深夜まで

働くうちに、大きな成果を上げる

ことができた池森賢二さんは、

2年で借金を全額返済することが

できたのです。

お兄さんの会社で上げたこの業績が、

池森賢二さんにとって、仕事をする

上での自信という財産になったと

いいます。

スポンサードリンク

妻・明子さんの何気ない言葉が生んだファンケル

池森賢二さんは1981年、43歳に

して株式会社ファンケルを立ち上げます。

(出典 : https://www.sankei.com)

きっかけは、妻の明子さんとの

何気ない会話でした。

明子さんは化粧品が原因で肌荒れ

トラブルを起こしていました。

当時はこうした化粧品のトラブルが

相次いだ時代で、「化粧品公害」と

いう言葉まで流行するほどだった

そうです。

防腐剤や香料など、化粧品には

多くの添加剤が入っていることに

気づいた池森賢二さん

、ならば添加剤を一切使わない、

無添加の化粧品を作ろうと

思い立ちます。

そうしてできたファンケルの

化粧品は、明子さんと同じように

トラブルを抱えていた女性たちの

間でヒットし、大成功を

収めたのです。

スポンサードリンク

息子さんは画家に~後継者育成へ

しかし、息子さんは池森賢二さん

事業を継ぐ気はなく、画家として

自らの道を進みました。

親族に事業継承者がいないファンケルの

将来を考えた池森賢二さんは、

キリンホールディングスの傘下に入る

ことで、企業の存続ひいては社員の

幸福を担保すると決断しました。

また、昨年には、若い起業家を

中長期的にサポートする投資会社

「池森ベンチャーサポート合同会社」を

設立し、自社に限らず、社会全体の

次世代の育成に投資しているのも、

息子さんを含め、家族経営に

ならなかったことが影響しているようです。

スポンサードリンク

家族に支えられて

池森賢二さんの仕事人生は、

自分の力でがむしゃらに働き、

切り開きながらも、節目となる

ところではいつもご家族の存在が

あったのだなと思いました。

そうした家族の支えや、

与えられたきっかけを十二分に

生かしたからこそ、ファンケルという

大企業が生まれ、成長し、社会に

貢献したのですね。

以上、池森賢二さんと、ご家族の

歴史についてでした。

ではでは~

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする