京都精華大学講師の白井聡
(しらい・さとし)さんが、
自身のフェイスブックで
ユーミンこと松任谷由実さんに
対し、
「早く死んだ方がいい」
「夭折した方が良かった」
などと暴言を吐いて話題に
なっています。
大学で教鞭をとるような人が、
自分と考え方が違うという理由で
激高し、公共のメディアで
「死んだ方がいい」
とまで断言するのは、正直異常と
思わずにいられません。
また、翌日には「声明」として
該当の記事を削除したことを
発表するものの、
「僕はがっかりしたのです」
と自己弁護。
悪いのは自分ではなくユーミンだ
という姿勢を変えていません。
しかし、この一連の騒動を見て
私が感じたことは、
「この人の発言って、典型的な
境界例型パーソナリティ障害だな」
というものでした。
境界例型パーソナリティ障害とは
何か? 白井聡さんの言動が
なぜ境界例型パーソナリティ障害を
想起させるのか、書いてみました。
境界例型パーソナリティ障害に特有な対人関係とは?
境界例型パーソナリティ障害を
持つ人は、特有の不安定な対人
関係を作りがちです。
まず、これはという特定の相手を
見つけると、やたらに称賛します。
すごい、すばらしい、才能がある
と言ってほめたたえ、あこがれて
理想化するのです。
同時にその人に見捨てられることへ
強い不安を抱きます。
なので、相手が自分の思い通りの
理想的な存在ではなくなった、
自分を見捨てた、自分に冷たくした、
と思った瞬間、あこがれや称賛は
一変します。
それまで褒めちぎっていた相手に
対し、今度は正反対に暴言を吐き、
「死ね」「殺してやる」などの
言葉を叩きつけます。
ここで大事なのは、境界例型
パーソナリティ障害を持つ人に
とっては、他人への評価が
コントロール不能なまでに
両極端に走るということ、
自分の中でのその人への
評価が異常なまでに極端に
変わるということです。
このように、境界例型パーソ
ナリティ障害を持つ人は、
対人関係の適度な距離感の
構築が著しく困難なのです。
白井聡がユーミンに死ねと罵倒した理由は?
今回の騒動の発端は、ユーミンが、
退陣する安倍首相をねぎらう
コメントを出したことでした。
白井聡さんは、もともとユーミンの
ことが大好きだったようです。
そんなユーミンが自分と違う思想を
持っていたことを知り、裏切られた、
という思いを強くしたのでしょう。
大好きという評価は一気に逆転し、
激しい憎悪へと変わり、自分の
理想どおりでないなら「死んだ方が
いい」とまで激変したのだと思います。
「(旧姓の)荒井由実のまま
夭折した方が良かった」
とも語っているように、
「昔のユーミンはすばらしかった、
最高のあこがれの存在だった、
なのに今はぜんぜんだめになった!」
という嘆きが見えています。
そして、嘆くだけでなく、激しい
憎悪から「死ね」という言葉が
出るのです。
白井聡は境界例型パーソナリティ障害なのか?
筆者の知っている人の中に、この
境界例型パーソナリティ障害を
持つ人がいたのですが、はじめは、
あなたはすごい、好き好き大好きと
べたべたしてたのが、些細な理由
から一転して言動を翻し、本当に
「死ね」とか「殺してやる」と
言葉に出して憎むので、その
振り幅の極端さに正直こわいものを
感じたことがあります。
あと、暴言がものすごく上から目線
なのも、今回の白井聡さんと全く
同じでした。
白井聡さんのフェイスブックの投稿を
見て、筆者は久しぶりにその人を
思い出しました。
荒井由実のまま夭折すべき
だったね。
本当に、醜態をさらすより、
早く死んだほうがいいと
思いますよ。
ご本人の名誉のために。
この上から目線、死ねという強迫、
これらはまさに境界例型パーソ
ナリティ障害を持つ人特有の言動です。
さらに、翌日に出された声明では、
上記の暴言書き込みを削除した旨を
報告しつつ、自分は悪くない、
相手が自分の理想と違ってしまった
のだ、という転嫁がつづられていました。
私は、ユーミン、特に
荒井由実時代の音楽は
かなり好きです
(あるいは、でした)。
それだけに、要するに
がっかりしたのですよ。
偉大なアーティストは
同時に偉大な知性で
あって欲しかった。
この文章からあふれてくる、
自分は裏切られた、相手が理想とは
違ってしまった、という叫びのように
強烈な感情は、相手との距離感を
適切に持ちえず、崇拝か死かの
両極端に振り回され、自分自身でも
疲弊している境界例型パーソナリティ
障害者の心情そのものに、私には
思えました。
(出典 : フェイスブックより)
そもそも、いい大人、しかも
大学で教えている講師という
「知性派」の人が、他人に
「死ね」という言葉を発すること
自体、通常ではありえない、
どうしちゃったの?と周囲を
困惑させる行動です。
当然、責任を問うべきだという
反応がおき、事態は勤務先の
精華大学の処遇にまで飛び火
しています。
しかし、白井聡さんがユーミンと
自分との間に適切な距離感を持てず、
「昔は大好きだったけど、今は
死んでほしい」と切に訴える言動を
繰り返すのは、周囲を困惑させる
「普通ではない」状況だから、
とは言えないでしょうか
(だからこうしてニュースになって
いるわけですが)。
ですが、一歩引いてみれば、その
「おかしさ」は、精神医学の世界では
障害に分類される、れっきとした
病気なのです。
境界例型パーソナリティ障害の
「境界」とは、病気の人と健康な
人の境界、という意味で、この
境界例型パーソナリティ障害の人は、
ある面では健康な人と変わらず
社会生活が送れます。
ですが、人間関係の距離感という
点では不健康な部分を持っています。
たいていの人がなんなく行なって
いるように見えることが、彼らには
ものすごく困難なのです。
理想化と殺意という、両極端の
台風の中で翻弄される小舟のような
感情、というのでしょうか。
自分も相手もめちゃくちゃにして
やりたいという、破滅的な感情が
「死ね」という非常に極端な言葉に
なって表出するのだと思います。
境界例型パーソナリティ障害は治るのか?
境界例型パーソナリティ障害の
治療は非常に難しいと言われて
います。
中には「『境界例』だけは診たく
ない」という医師がいるという
くらいです。
なぜなら医師と患者という関係も
また、極端な理想化と殺意の間で
振り回され、治療にならないから
だそうです。
希望的観測としては、発症は若い
人に多く、年とともに緩和される
というのですが、白井聡さんは
43歳。ちょっと微妙な感じです。
しかし、今回のようなことが
頻繁に起これば困るのは本人です。
身近な人が「その困難は病気のせい
なんだよ」と言ってあげるのが
いちばんなのですが、さてどうで
しょうか。
いずれにせよ、ユーミンは悪く
ないということは確かです。
白井聡さんの言動に振り回され、
つらい思いをされないよう、
周りの人がフォローしてあげて
ほしいと思います。
以上、白井聡さんの言動から見る、
境界例型パーソナリティ障害の
可能性についてでした。
ではでは~