(出典 : https://www.newsweekjapan.jp)
今回は、10月21日の『逆転人生』に
出演した、笈川幸司さんを
クローズアップしたいと思います。
中国の名門大学でカリスマ
日本語教師として活躍する
笈川幸司さん。
なぜ中国に渡ったのか。
なぜ日本語教師になったのか。
そして現在は何をしているのか、
調べてみました。
プロフィール
笈川幸司さんは、
1970年生まれ。
1996年・26歳の時には、
なんと衆議院議員の公設秘書を
していたそうです。
出身大学は不明ですが、
頭のいい人なのでしょう。
しかし、夢だったお笑い芸人の
道を諦めきれず、公設秘書は
1年で辞めてしまいます。
そして1997年には事務所に
所属して、本格的に漫才を始めます。
お笑い芸人としての挫折
笈川幸司さんの芸人としての
キャリアを見ると、
「NHK爆笑オンエアバトル」や、
「TBSお笑い道場」等に出演する
など、成果はあったようです。
それでも行き詰まってしまった
笈川幸司さんは、2001年に、
5年以上続いていた遠距離恋愛の
相手のいる中国・北京へ、
逃げるように飛んでいきます。
31歳の時のことでした。
遠距離恋愛が破局
そして彼女に会うのですが、
その口から出たのは別れの
言葉でした。
5年という年月は、彼女には
長すぎたのです。
お笑い芸人の道を断たれ、
遠距離恋愛も破局して、
笈川幸司さんは絶望のあまり、
一時は自殺を考えるほど
追い詰められてしまいました。
そのまま中国に留まったものの、
お金も無く、仕事のあても
ありませんでした。
結局、なんとなく、翻訳の勉強を
しようかと考え、その勉強を
しながらでも働けそうだから、
というだけの理由で、
日本語教師の仕事に就いた
のでした。
熱意などない、消去法の選択だった
ようですが、
笈川幸司さんのものの考え方は、
この時大きく変わったといいます。
それまでの価値観が崩れた自分。
だからこそ逆に、「一度死んだ」
つもりで、そのあとの人生は他人の
ために全部使う、と決めたのでした。
なんとなく日本語教師に
笈川幸司さんは、日本語を教えるに
あたり、発音とスピーチの指導に
力を入れました。
独自の教え方を考えだし、
スピーチの組み立て方や、
人前でも緊張しないで話せる
方法などを授業で実践し、
その学習法で学生たちを
みるみる上達させていきました。
(出典 : https://www.newsweekjapan.jp)
そして、日本語スピーチコンテストに
挑戦した学生たちが、200人以上も
優勝するという結果を出したのです。
笈川幸司さんの名前はスピーチの
カリスマ教師として有名になりました。
中国の名門大学、有名大学から
次々と授業の依頼が来て、
北京大学や清華大学などで
客員教師として授業を行い、
広大な中国を飛び回って教えました。
評判は中国を飛び出し、
アメリカやメキシコ、フランス、
イギリス、タイ、ロシアなど
30カ国以上の国で講義や講演会を
したといいます。
さらに、中国では自身の教科書も出版し、
評判を呼びました。
(出典 : http://j.people.com.cn)
現在――カリスマ教師として
仕事と恋愛で大きな挫折を経験した
笈川幸司さんは、特に伸び悩んでいる
学生に力を注いで引き上げることを
心掛けているそうです。
できない、と思っている学生には、
「私は自信がある」と30回言わせる
といいます。
30回も言っていると、できる気に
なってくる、と笈川幸司さんは言います。
10章構成の教科書で、10日間コースを
全力でがんばると10日後には
へとへとになります。
しかし、「やりとげた」達成感が残る。
それが学生に自信をつけるのです。
現在、笈川幸司さんは中国の
浙江省・寧波に住んでいます。
アパートの一部屋は、スピーチ用の
舞台になっており、マイクや演台の他、
スクリーンや照明などが
本物さながらにそろっていて、
学生たちの練習用に開放されています。
将来は、自分の学校を作りたいと
願っている笈川幸司さん。
傷心の果てにたどり着いた、
熱血カリスマ日本語教師という
仕事ぶりは、いつか理想の学校として
実を結ぶのでしょう。
以上、笈川幸司さんの紹介でした。
ではでは~